Samarkand


中央アジアへの門 Samarkand

もう30年ほど前になる。その頃のソ連領ウズベキスタンへの旅は、モスクワまで行って手続きをし、インツーリストの青年と一緒にサマルカンドに向かい、帰りはまたモスクワ経由で帰る長い道程が必要だった。まだビービーハヌムの大モスクの崩れ方は残骸そのものであったし、その他の建物も無数の支え棒がしてあった。シャーヒジンダ廟の建築群も相当痛んでいて、廟内部を見れたのは二つほどであった。それがいまでは、いづれも青光りして、その光彩で大勢の見物客を迎え入れる中心となっている。いたるところにあったレーニン像がチムール像に変わったいま、古き帝国時代の遺跡の保護や修復にことのほか力が入っているようだ。建築を一つ挙げるとすれば、レギスタンの広場を囲んで間合いよく向き合う三つの建築がよい。こうした大胆な構成によって、イーワンとよばれる前面の巨大な凹みや彩陶モザイクの絵画的効果を使った「チムール都市」の誇らしが今に伝わるのである。