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実測・スケッチと撮影ー4

鈴木恂インタビュー
風景の狩人:狩りの道程

2011年8月25日

於:AMS

—またスケッチの話に戻りますが、描く時のペンとか鉛筆みたいなものは特に決まりはあるんでしょうか?気に入ってお使いのものとか。

あるといえばある。はじめはマジック(フェルト・ペン)というのはイヤで、万年筆かボールペンを使っているんだ。マジックや筆ペンを使いだしたのは最近です。ペンが特別だっていうのはメキシコスケッチだね。メキシコ産の竹ペンだよ。製図用インクを持って行ってメキシコの現地の竹を削って、それで描く。それでも住宅なんかを描いてる時には万年筆だった。細かく描こうとする時は万年筆とボールペンで、全体をガーッととらえようとする時は竹ペンを使っていた。

—思考と描くスピードによってペン先の硬さとか太さとか、適正があるのではないか、ということですね。

何となく先が柔らかな筆ペンを使うようになって、いやだなあと自分でも思いながら最近はよく使ってるんだよ。掠れ具合が何となく気に入ってて描くんだけど、あれはやっぱり結構いい加減な筆だね。竹ペンだと力を入れるとインクがドッと出てきたりして、ああいう感じがいい。細かく描こうと思ったところにドーッと出てきて滲んできたとしても、えーい、いーやー、この気持ちだ、とかって思いきりがつく。

—先生はよく雲を描かれているようですが、いつ頃からでしょうか?南洋堂で開催された『天TENT MAKU幕』展の際にも雲のスケッチを出されていて、天幕の初源だという思いで雲なのか、と思って拝見しました。

南洋堂で開催された『天TENT MAKU幕』展に展示された雲のスケッチ

林とか森とか木とかってあるよね。自然が空間を作り出してるみたいな、ハッとするような。それを一番感じられるものが雲だと思っている。そうとらえているんだな。

『This is Makoto Suzuki』(都市住宅1971年3月号の特集)の表紙が雲だな。「雲の発生学」というタイトル、雲の中に、雲の構造がある、雲が雲を生んでいくその仕組みのイメージ。北海道の生活が大きいかもしれないね。北海道の天一面の雲はきれいだよ。大きい空に雲がポンポンポンって浮いているからね。あとメキシコの経験も大きいかと思う。

『This is Makoto Suzuki』(都市住宅1971年3月号の特集)の表紙—右下に見られるのは本人のサイン

—そうですね、空の面積が全然違いますからね。

雲がきれいだなあと思うんだよね、北海道は。北海道で思ってたこと、それがメキシコとかカリブ海とかに通ずる。どっしりした雲がグーンと動く。おおいかぶさってくる。
それから、立原道造や宮沢賢治あたりの影響も大きいね、きっと。中原中也もそうだよね。空、空、雲、雲だね。若い頃に愛読したああいう詩にも影響されてるかもしれないね。古代から、人はみんなすごい天井だと思ってたんじゃないのかな。今日は暗い天井だとか、赤い天井だとか、そういうのは原始的で、地球的で、いい感覚だ。

—民家を見ようと思ったのもそういう感覚とつながるのでしょうか。

民家というものへの興味というのがでてきて、ぼくの場合それが世界とつながっていくんだよね。それはやっぱり今先生の影響があって、今先生もヨーロッパに行ってヨーロッパの民家や街、ファッションとかたくさん描くわけです。それから吉阪先生もヨーロッパの民家を描き、パリのスケッチを描く。つまり民家は世界につながっているんですよ。民家っていうのはどこにでもある。地球のどこに行こうと人がいることによって。そして民家には必ず形があるわけだね。そしてどうであろうと人間のための空間というのがつくられて、工夫されているわけだ。そして、それは一つとして、ある意味で同じものは無い。けれども人間のためのものとして原理としては同じなんだよ。出来上がってくる形や解決の仕方が違ってくる。だけど全体を地球として見た時におおよそまでは同じなのよ、それがとっても面白いんだね。それを風土的にとらえるだけではあまり面白くないんだけれども、しかし民家というのは基本的に風土的だからね。

—先生にとって民家を見るということは世界を見ることなんですね。

僕は世界で民家を見るというのは普通の興味や行為として、楽しみの一つとしてとらえている。今でもそうだね。その口火を切ったのが極端にいうとルドフスキーの『建築家なしの建築』や吉阪先生の『環境と造形』だったり、今先生たちの活動であったりした。もう一つ大きかったのは梅棹忠夫の「生態史観」。ものすごい抽象的で、結果として感動はしたけれども、大雑把なことをやる人だなと思ったよね。ユーラシア大陸をああいうふうにバーンと乾燥地帯で貫いて、乾燥地帯を中軸にして見渡す。一種のぼくの世界観と通じてくるんだなあ。

—風土や伝統がテーマになった時代だったのでしょうか。

僕は卒論のテーマがどちらかというと風土論に近かったんだな。だからその時すでに古典になっていたけれど、和辻哲郎の『風土』を基本にして、そして奄美大島をほっつき歩いた経験を、そこで形というのはどういうふうにして変わっていくのかという論を書こうとしたわけね。風土というものと形というものの関わりを考えようとしていた時、『文明の生態史観』が出るんだよ。ものすごいショックだった。
それで少し広く旅行をしてものを見たいという気持ちにだんだんなってくる。そういったことは単純に何か描きたいとかっていうことではなくて、外から新しい世界観を植え付けられたり、広げられたりした、そのモーメントが大きいんじゃないかな。

—学部時代のゼミの際には、エドワード・ホールの『かくれた次元』の話もされていらっしゃいましたが。

あれは時期としてはもうちょっと後だね。あれも影響が強いね。特に僕の考えてる実測っていうのは、まとまるとすればああいう感じかなと思った時があるね。『かくれた次元』のほかにも、3、4冊似たようなものが出てるけれど、確実に『かくれた次元』が最高の本だ。僕の持っていた「メジャー」じゃなくて、「スケール」ということをあの人がいろんな形で実証してくれた、そんな気分だったね。

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