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実測・スケッチと撮影ー5

鈴木恂インタビュー
風景の狩人:狩りの道程

2011年8月25日

於:AMS

——メキシコでのスケッチを見せていただきながら...またスケッチの話に戻りますが

—これはもう、我々は体験が共有できないものですね。スケッチや写真といった表現は、目で前を向いてるものを追っていることでしかないから、それ以外にフレームからはみ出している周りの感覚を呼び起こせるのが現地にいた醍醐味ではないでしょうか。

そう、記録はブツ切れになるけど、記憶は枠をはみ出して連続するもんだよ。ぼくは奄美とメキシコスケッチ辺りで一つの自分なりのスケッチの仕方の型を決めている。その後あまりサイズが大きいのは、描いていない。スケッチの方法よりも、紙の大きさが手に持ちやすい小さなフィールドノートに変わっていくんだ。

—それはメキシコスケッチ以降で、物理的に持ちやすいということが大きいのでしょうか?

そう、それが大きいね。メキシコのときのようにゆっくり車で移動してるとね、大きな画面でもいいわけだ。が、歩く旅行の場合はポケットサイズになってしまう。

愛用されているClairefontaine社のフィールドノート。見開きで使用されることが多い。

まあ一般的なフィールド・ノート方式ということかな。コルビュジエの影響もあるかなとも思う。ただ、コルビュジエの東方旅行に関して、全貌が明らかになるのは亡くなってからだからね。それまではコルビュジエ全集の中に時々入っているものを見てたわけだよ。全貌が全然分からなかった。だから1965年には少なくともまだ分かっていない。本当に印刷されたものとして世の中に出てくるのは、それ以降ですよ。 

—そうですね、'90年代になってからでしょうか。当時は画期的な出版として話題になったように記憶していますが。

画期的だけれどもやっぱり、小出しにコルビュジエがやっていたのが分かるね。吉阪先生は影響されているはずだけれども、ああいう形のスケッチの展開はしなかった。どうしてかなあと思った。自分のスタイルというのは、居心地いいスタイルを結構みんな早めに決めちゃうんじゃないかなあ。そこからあまり動かないんだよ。それをどういうふうにどこでセットするか。僕はメキシコとか、奄美大島があったから自分で都合のいいようにセットしたわけだね。吉阪先生も自分のスタイルをどちらかというと貫いていて、コルビュジエの影響は受けなかった。特に、パリで自分のスケッチをコルビュジエに見せたら、あまり誉められなかったわけです。こんな古いことまだやってるのか、とか言われてしまって。それ以降コルビュジエに見せなかったらしい。こういう自分のスタイルっていうものはきちんと決まってるわけじゃなくてね、強引に何か決めつける外の力か、内の力が働いて、決めざるを得ない時というのがあるんだ。で、そこに立つと今度人のことがようやく少し分かってくる。それまでは影響されるか、されないかという話だけで、比較みたいなことはなかなかできない。だから僕が若い連中に言うのは、馬鹿みたいに描く時期っていうのは必ず作れって。まあそれは僕の経験から言えることなんだよ。上手いであろうと下手であろうとも構わないから、描きまくるという時代があっていいと。そこから先は自分のスタイルが決まらざるを得なくなってくるのだから。

——最近愛用されているA5サイズのフィールドノートを拝見しながら...
描かれる時は、見開きの状態で持って描かれるんでしょうか?

手にこう持ってね。これは筆ペンを使っているけど、このペンはたしかに移動しているときに楽なんだよ、筆圧がいらないから。万年筆で描くとノートを横開きのまま持っていられないんだよ。筆ペンだと、こうやってなんとなくさらさらっと。まあ荒くなるんだけれども。見開きというのは、気分いいでしょう。風景を描く場合、最近はこれが気にいってるんだよ。

—このノートに描くためにそういう景色のところに出かけられたくなることは。

「タクラマカン。沙漠のど真ん中だよ。太陽がすごく強いんだけれども、砂嵐でね...」

あるね。昔から僕の絵は水平なんですよ。あんまり縦長の絵ってのは好まないもんだから。横に横に展開していく風景が好きなんだね。まあ地表だよ、地表。

—それは北海道の風景と関係あるのでしょうか。

関係あるような気もするね。建築のスケッチなんて見ても、最初に出てくるのは水平線のような気もするなあ。
遠景、近景じゃないけど、水平線のなかで人をどうとらえるかというのが一つあるだろうね。写真を撮るときも、人を感じさせるというか、通った後でもいいから、何となく人が通った空気がすーっとこう水平に映ってくれないかなと思う。

(了)

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